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コラム

響きわたる懐かしの音色
−蓄音機とSPレコード−

「花も嵐も踏み越えて・・・」ではじまる往年の大ヒット曲『旅の夜風』がロビーに響くと、近くにいる方たちの顔が途端にほころび、曲に合わせて口ずさんだり、しみじみと聞きほれたりされています。

<レトロな香りのSP盤>
コノドント館では、町内の方々から寄贈された手巻き式蓄音機を整備し、懐かしいSPレコードの音色をお聞かせしています。近ごろはCDが大勢を占め、レコード店でレコード盤を見つけるのが困難になっているそうです。こんな時勢だからでしょうか、レトロな雰囲気満点の蓄音機は若い人にも関心が高いようです。
以前、コンサート準備のため、館で所蔵している数百枚のレコードのうち何枚かを試聴したことがあります。そのとき聞いたサラサーテのバイオリン独奏曲『ツィゴイネルワイゼン』は、SPレコード特有のノイズがその哀愁に満ちた旋律に絶妙にマッチし、SP盤ならではの味わい深い世界を醸し出していました。これはぜひ一聴をお勧めしたい一枚です。また、今も現役で歌っている淡谷のり子の若き日の歌声が、実に魅力的だと知ったのもこの時でした。
蛇足ながら、『旅の夜風』は昭和13年の松竹映画『愛染かつら』の主題歌で、歌っているのは霧島昇と松原操でした。映画のほうも田中絹代と当時新進の上原謙の主演で大ヒット作となっています。

<15円だった蓄音機>
声や音楽など音を保存しておき、好きなときに聞きたいというのは昔から人間の夢でした。この夢が現実のものとなったのは1877年(明治10年)にエジソンが「フォノグラフ」を発表し、これを企業化したことに始まります。エジソンたちの採用した円筒形レコードには、複製による大量生産ができないという致命的な欠点がありました。これを克服したのがベルリナーの平円盤レコードで、その後のレコード盤の原型となったものです。
平円盤レコードには、はじめ各種のものがありましたが、電気技術を応用した吹き込み法式の開発された1925年(大正14年)ころからは、寸法は直径が25センチと30センチの2種、回転数は毎分78回転に統一されました。このレコードはSP(スタンダードまたはショート・プレイ)レコードと呼ばれているもので、館が収集所蔵しているレコードの多くもこのSP盤です。
日本に蓄音機が伝わったのは明治11年のことでした。初めのころは「自言機」「蘇言機」などと呼ばれ、蓄音機という名称が定着したのはかなり後のことです。輸入に頼っていた蓄音機やレコードですが、明治40年には国産品が出始め、大正時代に入ると10数社におよぶ蓄音機会社が設立されています。やがて大正4年の『カチューシャの唄』(松井須磨子)の大ヒットもあって、蓄音機産業は花盛りとなります。
提供された方によると、いま使っている蓄音機は大正の末に大間々のレコード店から15円ほどで購入したそうです。木製の箱形の外観をしており、ラベルを見ると米国コロンビア社の製品と分かります。方式は手巻きのゼンマイ式モーターでレコードを回し、交換式の鉄針で振動板を振動させ、箱の下部に仕込まれたラッパを介して音量を増幅し再生するものです。電動式でないので音量のコントロールはできませんが、意外に大きな音が出るので驚かされます。回転速度の微調整のほか、オート・ストップも付いていて、機械の気分しだいですが演奏が終わると、自動的に止まってくれることもあります。
蓄音機は当時の物価から考えると高価なぜいたく品でした。そのころ蓄音機を持っている家はあまりなく、仲間がみんな聞きに集まったそうです。この蓄音機は、そんな大正末から昭和初期の大衆文化の様相を伝える資料として活用されているのです。

流行歌やクラシックのほか童謡や浪曲もありますが、見ていると『旅の夜風』をかけた時が一番喜ばれるため、ついこのレコードに針をおろす回数が多くなっています。
2、3回の使用で交換を要する再生用の鉄針も、現在では入手が容易ではありません。しかし、78回転の蓄音機を愛好する熱心な方たちのご支援もあり、何とかこの演奏は続けたいと考えています。

Script:竹内/広報おおままNo.215(平成3年10月)




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