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アメリカ製が最高だった時代 |
−明治・大正時代の掛け時計− |
「ここにある時計は、みんな動きますよ」「骨董屋に行くと目玉が飛び出るほど高かったし、時計を直すことも好きだったから、壊れてるのを買い集めていたら、いつの間にかこんなに増えちゃって……」
企画展「アンティック時計の世界」に、百点以上もの明治以降の掛け時計や置き時計を提供してくださった新井栄きんに、食堂の仕事の合間にお話を伺うと、古時計が好きでたまらないという気持ちがビンビンとこちらに伝わってきます。

アンソニア社の掛け時計 |
<アンソニア社の掛け時計>
明治時代の日本で時計を使っていた所は、学校や官庁それに鉄道関係などで、公共的な施設がほとんどでした。したがって庶民にとって、時計は高嶺の花ともいえるものでした。明治の中ごろまでは、日本で掛け時計といえばほとんどが輸入品でした。それもアンソニア社をはじめとするアメリカ製が多くを占め、ヨーロッパ産ではドイツのユンハンス社製などに人気が集まっていました。掛け時計メーカーとして最も人気の高かったアンソニア社は、1873年(明治6年)ニューヨークのブルックリンで創立された会社で、早くから製品の優秀性が知られていました。明治時代の日本製時計の中にも、このアンソニア製の機械部品のみを輸入し、自家製のケースなどと組み合わせて一個の掛け時計に仕上げ、大々的に売り出し好評を博したものがありました。アンソニア社の(A)のマークは、高度の技術性を保証する印として、当時の日本社会において、まさに一世を風靡していたのでした。
ところで、日本の掛け時計製造の草分けといわれているのが「柵時計製造所」で、名古屋の林市兵衛が明治20年に始めた会社です。この社の掛け時計は、今では古時計マニアの間で垂涎の的だそうで、新井きんも特に大切にしていました。
<八角型と四ツ丸型>
掛け時計のデザインは、初期のころは多彩な形態が作られていました。そうした中でも、長い歳月鑑賞に耐えて残ってきた形がこの「八角型」で、掛け時計の基本的な形態といわれるほどポピュラーなものです。
八角型掛け時計の変遷を見ると、上部の八角面が大きく下部の振子ケースの小きいものが比較的旧式ときれています。これは、時代が下るにつれ、振り子の柄を長くして精度を高めるという、技術的必然から生じたものです。
四ツ丸型の掛け時計は別称を「だるま時計」ともいいます。直線を強調している八角型と対照的に、曲線のみで構成したこの型は、下左右に丸型が組み合わさって、まことに愛嬌のある形をしています。四ツ丸型は八角型とほば同じころ輸入されていたものの、初めは人気の面で八角型に及びませんでした。
しかし、やがて一般の庶民に受け入れられ、明治の文化を語るうえで、欠かすことのできない流行品となっていきました。
<文字盤の不思議>
皆きんは上の写真のような時計の文字盤を見て、「何かおかしいな」と感じたことはありませんか。ローマ数字の文字盤の四時のところがWのはずが、どの時計を見ても皿となっているのはどうしてでしょうか。本当かどうか疑問ですが、これに関してはひとつの逸話があります。
1360年ごろ、現存するせ界最古の機械時計をドイツ人の時計士ヴィックが作った際、文字盤はローマ数字で書き、当然四時のところは「W」としました。ところが、製作を命じたフランス王シャルル五(X)世が「朕のXからTを引くとは不届きである」と怒ったため、ヴィックは心ならずもVにTを足したということです。
こうして、こののち時計の文字盤に限って、ローマ数字のWは使わなくなったそうな……さてさて、何とも不思議な話じゃのう……と、日本昔話風に終わりにしましょう。 (竹内) |
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Script:竹内/広報おおままNo.198(平成2年5月) |
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