トップページ > 博物館コラム > 日本のテレビ時代の幕開け

日本のテレビ時代の幕開け |
−最初の国産テレビ− |
唐突ですが、皆さんはコノドント館の歴史展示室の中で、時期の一番新しい資料は何だと思いますか。答えを明かしてしまうと、それは"最初の国産テレビ"です。
ブラウン管に映し出された「イ」 |
<テレビ全国の販売台数500台>
"歴史"は難しいからと遠ざけがちな子供たちにとっても、テレビは身近な存在であるだけに、「昔のテレビは画面が丸くて小さいんだね」「ラジオみたいだ」などと家族で会話が弾んでいます。
この技術の進歩を物語る製品をお持ちくださったのは、四丁目の新井国蔵さんでした。新井さんは「知り合いの人から譲っていただいたものなんですよ。日本で最初のテレビのようです」と説明してくれました。
受け入れた品を展示するにあたっては、資料について出来るだけ正しい情報を準備しておくことが求められます。テレビの裏側から真空管の目立つ内部をのぞくと<東芝テレビジョンレシーバー・モデル75>とあったので、メーカーの運営する東芝科学館に問い合わせてみました。
担当の方のお話を聞いているうちに、このテレビの素性が少しずつ明らかとなってきました。それによると、新井さんのテレビは昭和29年9月(日本でテレビの本放送が始まった翌年)に発売された、東芝製としては第2号だったそうです。会社には展示資料として1台だけはあるそうですが、販売台数わずか500台だったこともあり、「全国でもほかにはほとんど残っていないでしょう」とのことでした。やはり貴重な資料だったのです。
<テレビ普及への道>
ここで簡単に、当時のテレビを取り巻く状況を振り返ってみることにしましょう。
わが国のテレビ放送の歴史は、大正12年に旧制浜松高等工業(現静岡大学工学部)の高柳健次郎氏が実験に着手したのに始まります。高柳氏は、昭和2年には早くもブラウン管上に映像を出すことに成功していますが、このとき送ったのがイロハの「イ」という文字だったことは有名な話です。
高柳氏の研究は世界的に見ても当時の最先端を行くもので、ある部分では後のテレビ技術を先取りする研究もしていました。高柳氏のグループも参加して、NHKが昭和15年に開催予定の第12回オリンピック東京大会のテレビ放送実現のため準備を進めますが、世界情勢の悪化のためオリンピック開催は返上されてしまいます。その後、研究自体は進められていたものの、本放送に向けて再び活動を始めるのは戦後のことになります。
いよいよ"電化元年"と称される昭和28年になって、2月にはNHKがテレビ本放送を開始し、続いて8月になると民間の日本テレビが開局しました。こうして、日本もテレビ時代の幕開けを迎えることになります。しかし、受像器は輸入品も国産品も高嶺(たかね)の花で、庶民がテレビを見られるのは電気店の店頭か喫茶店くらいのものでした。それでも国内メーカーは各社ともコストダウンに努めていたようで、昭和27年に新発売された某社の17インチのデラックス型は29万円でしたが、翌28年に出た東芝の1号機と思われる製品は同様のもので19万円の定価となっています。
テレビ受像器で最も高価な部分は表示部のブラウン管です。1年後の昭和29年発売のコノドント館のテレビが、7インチ程度の小さな画面だった理由も、価格を下げた普及型テレビだったからでしょう。それにしても、大学卒の初任給が8千円の時代に定価が8万4千円もしていますから、いかに高価だったかが想像できます。
私たちの世代は、少年時代がちょうどテレビ文化の黎明期(れいめいき)にあたっており、その印象は鮮烈なものがありました。
アメリカ製のホームドラマの影響も大きく、豊かな国アメリカに憧れ、陽気なアメリカ人に親近感を抱いたものです。今日では立場が変わり、日本がアジア各国に向けてテレビ文化を怒濤(どとう)のように輸出しています。戦争を知らない世代の日本に対するプラスのイメージを、これから先、壊すようなことがないと良いのですが…。 |
|
|
Script:竹内/広報おおままNo.226(平成4年9月) |
↑ページのトップへ