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コラム

近代史を語る臨時召集令状
−半世紀たった太平洋戦争−

「赤紙が来た!」
主人公のところに突然届いた召集令状、一枚の紙片によって急展開する男の人生。召集令状と聞くと、こんなドラマのストーリーがすぐ頭に浮かんできそうです。

<赤紙の残っていた理由>
今月は太平洋戦争の開戦(1941年12月8日)から、ちょうど50年目にあたります。半世紀たった現在では、東アジアと太平洋を主戦場としたこの戦争を、体験していない世代が多くなっています。しかし、「召集令状」や「赤紙」という言葉はテレビ・映画などにしばしば出てくるので、耳にしたことはあると思います。
戦争体験者でない限り、この令状を見たことのある方はあまりいないでしょう。実際、全国各地の博物館でも、資料として展示してあることはめったにありません。この戦争関連資料として貴重な太平洋戦争当時の召集令状を寄贈してくださったのは、大間々で鮮魚商を営む斎藤馬次郎さんでした。
この令状には『臨時召集令状』とあります。これは戦時・事変に際し、臨時に大規模に在郷軍人・国民兵を召集するもので、もっとも一般的な召集令状でした。俗に召集令状を「赤紙」と呼ぶのは、淡赤色の紙に印刷してあるからで、この色は充員召集・防衛召集の場合にも使われました。このほか、演習・教育・帰休兵などを召集する白い紙や、青い紙を使った防衛召集特命令状もあったそうです。
ところで令状裏面の注意書にもあるように、召集令状は召集部隊に出頭した際に提出するものでしたから、普通でしたら本人の手元には残らないはずです。それでは、馬次郎さんはなぜ持っていたのでしょうか。残念なことに馬次郎さんは亡くなられていましたが、奥さんに当時のことを聞くことができました。お話によると、馬次郎さんは召集部隊に出頭するときに令状を忘れたため、仕方なくその旨を書類で届け出たのだそうです。そして、後に出てきた令状は、額に入れて大切に保管されていました。

『徴兵免役心得』の画像<明治時代の徴兵制度>
戦争に関連した資料としては、そのほかにもなかなか興味深いものがあります。例えば、明治12年に刊行された『徴兵免役心得』という小さな薄い本は、荒井栄さん(大間々)より寄贈され展示しています。
明治政府は全国民から徴集した兵士により組織した近代的な軍隊を創設しようと、明治6年1月に「徴兵令」を発布しました。

徴兵令制定の当初は、代人料を納めた者のほか、官吏・学校生徒・戸主・嗣子などを免役とする広範な免役規定を認めていました。こうした規定によって徴兵を避けたいと考える人も多かったといわれ、こうした本の存在もそれを裏付けているようです。
徴兵令は制定の当初から反対論も多くありました。まず、かつて武力を独占していた士族層の不満が激発し、同時に徴兵反対の農民一揆が多発しています。このような動きに対し何回か徴兵令の改正が行われ、明治22年の抜本的改正により従来の召集猶予制が廃止され国民皆兵の原則が確立されました。こうして、資料のような冊子も姿を消すことになります。
その後、昭和2年(1927年)に徴兵令は兵役法になり、兵力増強のために徴兵適齢の引き下げなど何度も改正されています。敗色濃くなった太平洋戦争末期には国民義勇兵役法ができ、男子(15歳〜60歳)だけでなく、女子(17歳〜40歳)までが国民義勇戦闘隊に編入されることになりました。赤紙なしで召集できる法令でしたが、施行されることなく終戦を迎えています。

戦争というと、プロイセンの戦略家クラウゼウィツが『戦争論』の中でいみじくも喝破した、「戦争は他の手段による政治の実現である」という言葉が有名です。しかしまた、動物の中で人類だけが殺し合いをする種族ともいわれます。もし戦争をなくせれば、「人間も案外捨てたもんじゃないね」と動物たちが褒めてくれるかもしれません。

Script:竹内/広報おおままNo.217(平成3年12月)




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