広報など「エキストラ募集」のお知らせをしていたので、コノドント館の立体映像第三作撮影のことは、ご存知の方も多いと思います。今回の作品は、これまでの2作とは全く趣を異にし、故松島正見さんの歴史小説『里見兄弟物語』を原作とした、戦国時代の高津戸城が舞台の時代劇です。完成した作品を見ていただく前に、理解を深めていただけるよう、物語にまつわる話や大間々でのロケ撮影の裏話を紹介します。
<桐生城と里見勝広>
まず、この物語の発端から話を始めることにしましょう。
今からおよそ450年ほどさかのぼった戦国時代のまっただ中のことです。里見上総之介勝広は、縁を頼って桐生家の家臣に加えられた外様(とざま)でありながら抜擢を重ね、一年ほどで桐生城の守りである赤萩城(現在の桐生市川内町仁田山地区にあったとされる)城主に任ぜられます。物語の主人公里見勝政・勝安兄弟が生まれたのは、この赤萩城内でした。この抜擢は、勝広の手腕力量が際立って優れていたからでしょうが、主君桐生助綱の信頼が厚かったことも物語っています。しかし、これをねたむ同僚の反感も買っていたと原作者は述べています。
英明な助綱の健在なうちは、里見も含め桐生家臣団の結束は強固だったのですが、後を継いだ養子親綱の代になると、親綱の実家から来た付家老と桐生家譜代の家臣との間で内紛が起き、結果として桐生の力をそぐこととなってしまいました。里見との関係も家臣の讒言(ざんげん)により、勝広を快く思わなくなった親綱との間に溝が深まっていました。赤萩城の重心たちの間でも、桐生城とつながりの強い目付役の石原石見守(いわみのかみ)・帯刀兄弟と、正木豊前守・大蔵父子・大貫左兵衛・源左衛門兄弟といった自主路線派のグループの対立が表面化してきました。
<越後への旅立ち>
こうした緊迫した情勢のなか、里見勝政・勝安兄弟は越後の上杉謙信の元に旅立ちました。桐生との関係悪化を懸念した父の勝広が、攻められることを予見して兄弟を謙信に託したのでしょうが、これが反里見派の主張する「里見謀反」を裏付ける結果となってしまいます。
この越後への旅立ちのシーンのロケは、塩原下ノ台付近の渡良瀬川の河原で行われました。現場に着いてみると、既にリハーサルが始まっていました。撮影初日の朝、赤城駅で出迎えた時には「ごく普通の若者」といった印象しかなかった役者さんたちでしたが、旅装束を身につけた兄弟と正木大蔵の若侍姿はぴったりときまっていました。やはりプロは違います。
この時はまだ、兄弟が子供のころを追想した場面も撮っています。幼い兄弟役は桐生から応募してくれた小学生の大野裕司くん・登士くんで、こちらは本物の兄弟です。何日か前から少し冷え込んできていたこともあり、褌ひとつで冷たい川の中に入る演技はきつかったようです。「はーい、カット。大変良かったですよ」の監督の声に、タオルを持ったお母さんが、ほっとした顔で水しぶきのかかった体を拭いてあげていたのが印象的でした。
<近藤謙信さん出番です>
さて謙信は越後へ行った兄弟を温かく迎えてくれ、二人は修行に努めていました。二年後のある日、謙信と談笑している兄弟の所へ、赤萩城からの使者が桐生勢に攻められて落城したことを知らせてきます。さらに、父母たちも内応した石原等の手にかかり無念の死を遂げていたのでした。
ここで勝政と勝安は仇討ちを誓うわけですが、このシーンの撮影は、小平鍾乳洞のすぐ近くにある古刹正福寺の本堂で行われました。本堂の一角はすっかり謙信の居城である春日山城内の雰囲気です。セットの周りは40人以上の撮影スタッフと立体映像用の撮影機材やコードがいっぱいで、記録写真を撮るための移動にはかなり注意が必要でした。
最後に、上の写真に写っている僧形の上杉謙信をどこかで見たことがありませんか。撮影の開始前から評判になっていましたが、実は里見兄弟を後押ししている人情家の武将を演じている近藤町長でした。
コノドント館立体映像第3弾『里見兄弟物語』の夜間ロケーションは、物語の舞台となる要害山で行われました。 ここでは、越後の上杉謙信の元から帰った里見勝政・勝安兄弟が家来や農民達と共に高津戸城で戦いを繰り広げる、物語のヤマ場となるシーンが撮影されています。
<里見は黒、由良は赤>
初日、小平・正福寺での撮影が終了し、役者さんたちを車に乗せてロケ隊の基地がある高津戸の集会所に向かうころには、辺りはすっかり夜の闇に包まれていました。
食事もそこそこに要害山を登っていくと、スタッフが準備に慌ただしく動き回っており、現場は熱気でムンムンといった感じでした。一緒に着いた地元のエキストラの人たちも、小道具さんに教わりながら具足を身に着けていきます。ほとんどの方は、”わらじ”など履いたことがなく、皆さん大分てこずっているようでした。「里見勢は黒、由良勢は赤ですから間違えないで着てください」という声も聞こえてきます。
敵方由良勢の兵士となる東中学校の生徒8人は、すっかり気分が乗ってきているようで、真っ赤な戦闘スタイルに身を包み、手に槍や刀を持って思い思いのポーズをとっています。一方、黒い具足の里見勢となった第14区子供会育成会の皆さんは大人の方ばかりで、こちらはすっかり精悍な壮年の兵士に変身していました。
<特殊撮影も駆使>
ライトに照らされた里見の陣地のセットには、鎧兜も凛々しい勝政・勝安兄弟や腹心の家来正木大蔵の姿が見えます。少し離れた所では、女忍者の霞(かすみ)が出番を待っています。
ここで思わぬ伏兵に襲われました。撮影用の強い光と熱によって眠りを覚まされた蚊の大群が、辺り一帯に飛び交い、相手構わず襲いかかってきたのです。急いで用意した蚊取線香も、野外では心もとない限りでした。それでも撮影を始めると、大量に焚いたスモーク(撮影用の煙)が効いたのか、さしもの蚊の群もどこかへ消えていました。
ところで、兵士や農民役のエキストラとして協力してくださった方たちの熱演ぶりは、ぜひとも伝えておかなければなりません。敵、味方入り乱れての戦闘場面のリハーサルでは、勢い余って坂を転げ落ちるハプニングもあったほどの迫真の演技でした。本人に怪我のないことを聞いたあと、監督の口から出たのが「惜しかった、(撮影機を)回しておけばよかったね」という、いかにも残念そうな一言でした。
里見勢に味方する村人役の2人の娘さんも竹槍や鍬を手に奮戦していましたが、敵に浴びせる糞尿の桶を運ぶシーンを撮ると聞かされて思わず絶句、周りは大爆笑でした。こうして、この日の撮影が終了したのは午前一時近くになっていました。
2日目の夜は、日曜日のためエキストラが足りず、役場職員の何人かに協力を頼み、敵方の赤い具足を着けてもらいました。この日は、放たれた矢が目の前に飛んできて思わず逃げてしまうような、立体映像ならではのシーンも撮影しています。特殊撮影の舞台裏を見ることができ、一同関心することしきりでした。
<事件の真相は・・・>
戦国時代の出来事は正確な史料の残っていることが稀なため、多くは江戸時代に書かれた軍記物などをよりどころとして考えるしかありません。この物語の基となった『関八州古戦録』などの史料もこの例に漏れず、出典により記述内容が違うなど不明の部分も多いのです。細かな考証や原作の小説はさておいて、ここで時代の大局から事件を見てみることにしましょう。
当時、東上野を支配していたのは、小田原の北条氏政を後ろ盾とする太田金山城の由良氏でした。この北条の勢力に対抗した越後の上杉謙信が、由良の配下となっていた石原石見守を仇と狙う里見の残党を利用して、「高津戸城に東上野進出の足がかりを築こうとした」というのが事件の真相かもしれません。この高津戸城を舞台とした争乱は、いわば北条・上杉の代理戦争の感じもしてきます。所詮は、大きな戦乱の渦の中にできた小さな泡にすぎなかったのではないでしょうか。
今回の立体映像第3作は、この非常な戦国の世を知ることで、平和な世の中の大切さを訴える作品となっています。 |