未曾有(みぞう)の大災害となった阪神大震災以後、「日本は断層列島だ」という認識が一般化してきたようで、活断層や構造線といった言葉がマスコミをにぎわし、コノドント館にも群馬の地質構造についての問い合わせが寄せられています。
<隠された大断層>
ここでいう「構造線」とは、列島規模の大断層のことです。教科書などで中央構造線や糸魚川静岡線が有名なのは、これらの構造線が地表に表れていて、はっきりと観察できるからにすぎません。足元の群馬県を考えてみても、構造線をはじめ大小の断層が、厚い地層の下に隠されているだろうといわれています。次に、群馬県東部の地層構造について、専門書ではなく入手や閲覧のしやすい図書から学説の一端を追ってみることにしましょう。
昭和42年の発行と少し古い資料ですが、『自然の歴史』(みやま文庫24)という本があります。その前書きを読むと、「……以前から関東山地と足尾山地との間には、大きい割れ目があるはずであると考えられて、この割れ目に利根川構造線という名が与えられていた。利根川構造線は関東平野や上信越山地の若い地層(火山堆積物や沖積層のこと)に覆われていて、それがどのような性格のもので、どこを通っているかは分かっていない……」とあります。
これと関連して、同書の「奇妙な化石コノドント」の項では、「……足利、桐生、大間々を結ぶ線は、地形的にも極めて明瞭(めいりょう)な一直線となって、その延長は赤城火山の真下を通る大断層の伏在することを物語っている……実に利根川構造(線)は、群馬県を真っ二つに切る大きな割れ目である……」と述べています。
さらに、4年後の昭和46年に出された『地学日曜散歩』(みやま文庫38)の前書きには、「……最近新潟県の東部の油田と西部のそれの間にいろいろと相違する点があることが明らかになり、利根川構造線は北に延びて、柏崎付近を通るらしいことが分かり、柏崎-銚子線という名称に変えることが提唱されました」とあります。
その後、昭和52年に出版された『群馬のおいたちをたずねて(上)』の「群馬の地質構造」の項でも、「……これ(柏崎銚子線)は新潟県の柏崎付近から三国峠、沼田、赤城山、太田を通り銚子附近へ抜ける構造線である……この構造線も一応完成したのは新第三紀の地層が堆積する(約2500万年前より)前であるが、その後はどんな動きをしたのだろうか……(この構造線については)どうも活発に動いた証拠がない……」と述べられています。
<巨大ナマズはいつ動く>
この柏崎銚子線(利根川構造線または関東構造線とも呼ばれた)が最近(とはいっても数万年のタイムスケールで)動いたかどうかについて、前の「奇妙な化石コノドント」を続けて引用すると、「……また、東毛グラウンド、蕪町、大間々町、桐原と、みごとな河岸段丘が発達していることも見逃せない。このことは、ごく最近になって、この地域が数回にわたって隆起を続けたことの証拠であり、利根川構造線をつくった大断層運動と密接に関係したものであることも物語っている……」と書かれています。大間々扇状地の形成過程でできたこの河岸段丘については、これまでの研究で5万年前と1万5千年前の段丘面が想定されています。
関東地方の地下の巨大ナマズ(活断層)が実際は何匹いるのかとか、それがいつ活動するのかという関心は多くの方にあるでしょう。しかし、この点に関しては地質研究者も、「まだ、ほとんど分かっていないのが現状だ」と答えるしかないようです。 なお近年は、考古学の立場からの地震へのアプローチも進んでいます。赤城南麓(なんろく)で確認されている、歴史時代(平安時代の弘仁9年説がある)の地震跡について関心をお持ちの方は、広報の平成4年4月号『大地震にあった縄文住居の発見』や、コノドント館の埋蔵文化財調査報告書『瀬戸ヶ原遺跡B区』でも分析していますのでご覧ください。
久しぶりに地球科学に関係した問題を考えていると、微化石コノドントを探して結局見つからなかったことなど、遠い少年時代の思い出がよみがえってきます。繰り返すようですが、私たちが暮らしている大地の様子は意外に解明が進んでいないものなのです。それだけにまた興味の尽きない研究対象であると言えるでしょう。 |