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氏名 | 萩原 博文(はぎわらひろふみ) |
| 生年月日 | 1949年7月30日 長崎県出身 55歳( 受賞時) | |
| 現住所 | 長崎県平戸市 | |
| 職業 | 地方公務員 | |
| 勤務先 | 平戸市教育委員会 | |
| 最終学歴 | 國学院大学文学部史学科卒 |
萩原博文氏は1972年に國学院大学を卒業後,長崎県平戸市教育委員会の埋蔵文化財担当職員として,一貫して文化財保護行政に携わってきた。1975年の中山遺跡の発掘以来,平戸市内において10ヵ所を超える岩宿時代遺跡の発掘調査を行うとともに調査報告書を刊行してきた。この間新しい研究の開発にも取り組み,多変量解析などの手法を用いた統計的処理で,ナイフ形石器・台形石器・彫器等の機能の推定に画期をもたらした。また,火山灰堆積に恵まれない西北九州を研究フィールドとしたことから遺物の型式学研究も熱心で,原の辻型台形石器の提唱,ナイフ形石器の型式学研究,磯道技法・堤西牟田技法などの解明にも成功した。
一方,研究の当初から姶良Tn火山灰を基礎とした火山灰層序にも着目し,九州各地域の石器群を分析して,1983年には九州地方の岩宿時代石器群の編年大綱を構築した。さらに1994年からは平戸市史編纂に携わり,編集作業の傍らに執筆した「平戸の旧石器時代」は,これまでの石器群編年を補強したものとなった。こうした萩原氏による石器群の編年作業は,他地域の研究者にとって必携のものとなっており,そうした意味で九州地方の基礎資料というべきもので,その意義は大きく高い評価を与えることができる。2000年以降は,岩宿時代から縄文時代草創期への過渡期に焦点を絞った研究にも着手し,泉福寺洞穴を軸として,混沌とした九州地方の細石器文化研究にも指針をあたえた。さらに近年では,東アジア的視点に立ち中国・韓国の旧石器との比較,岩宿時代の集団関係や集団領域の研究等にも広がりを見せている。
また,その一方では長崎県旧石器文化研究会の創設や九州旧石器文化研究会の設立にも大きな役割を果たし,後進の指導にも熱心であった。さらに,2002年からは九州旧石器文化研究会の会長も務めている。
以上のように,日常的には多忙な文化財保護行政の業務に携わる傍らで,研究のブランクもなく多くの論文を発表し,九州地方における岩宿時代研究の進展に寄与した功績は,岩宿時代研究の発展と奨励を願って設立された本賞にふさわしいものである。
受賞理由
笠懸東小学校は,6年生全員が夏休み等の課題として岩宿遺跡や岩宿時代のことについて調べ学習に取り組み,個人又は数人のグループで取り組んだ作品など,総数で49点の作品が応募されてきた。
こうした作品の内容を見ると,『これまで岩宿遺跡のことについてあまり興味がありませんでしたが,調べ学習をしてからは岩宿遺跡について興味を持つようになりました』といった感想が多く記述されていた。このことは,子どもたちが岩宿遺跡をこれまでより一層身近なものとして感じ,地域の誇りと思い,さらに将来は岩宿文化賞を目指すような研究者が育つことを展望して設置された,本賞に相応しい取り組みであると考えられる。