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御用銅蔵

御用銅蔵

 慶安2年(1649年)に足尾銅山で産出・精錬された銅を利根川の河岸まで輸送するための街道(足尾銅山街道)として整備された。銅山は幕府の直轄地であったため、製錬された銅は、御用銅として、5つの継場をへて平塚河岸(後に亀岡河岸)まで運ばれた。


 5つの継場のうち、3カ所がみどり市内に所在した。このうち東町地区には沢入(そうり)村と花輪村の2カ所に継場が置かれた。継場の責任者は銅問屋と呼ばれ、村の有力者が任じられた、銅の保管は、銅問屋の自宅の土蔵で行った。当初は、規模もまちまちだったが、時代を経てその規模は一定のものとなっていったという。
 花輪の銅問屋は、花輪村で名主を務めた高草木家が努めた。高草木家の屋号は「トンヤ」である。高草木家の銅蔵は、天保年間の大火を経て嘉永3年(1850年)に再建されたもので、桁行き3間、梁間2間の規模をもつ。高草木家には、銅蔵を再建したときの目論見帳(設計書)も残されている。

 当初は、粗壁板葺だったが、昭和8年(1933年)の改修で、腰巻を人造石洗い出し、外壁をモルタル塗りに改修したほか、屋根を瓦葺きとした。また、外壁の修理が昭和53年頃に行われている。

概要

指定区分

みどり市指定重要文化財(建造物)

指定年月日

昭和54年12月8日

所在地

みどり市東町花輪92

2018年 8月 10日更新

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