五覧田城址
五覧田(ごらんだ)城は、沼田方面からの敵の侵入に備え築城された戦国時代の山城で、戦略的な要衡として、越後の上杉謙信、新田金山城(太田市)の由良氏、深沢城(桐生市黒保根町)の阿久沢氏による争奪の舞台となりました。
天正2年(1574年)3月に、小田原北条氏について由良氏を攻めるため、沼田方面から進出した
上杉謙信により攻略されましたが、、同年9月には由良成繁により奪い返されています。また、天正12年に、成繁
の子国繁が小田原に軟禁されると、当地の支配を約された阿久沢氏により五覧田城は攻略されています。
その後も、渡良瀬川上流部の黒川谷の領有をめぐって、由良氏と阿久沢氏の抗争が続きましたが、小田原北条氏の裁定により、最終的には阿久沢氏の領有となりました。
その後の五覧田城は、阿久沢氏が小田原北条氏方として豊臣秀吉の小田原攻めに対抗したため、天正18年(1590年)に廃城となったと考えられます。
海抜592.9m、史跡としての指定面積は面積23.4ha、現在は三の丸とされる場所が五覧田城址公園として季節には、ツツジ、ソメイヨシノ、山桜や夏椿が咲き乱れ、天気の良い日は富士山の望める景勝の地となっています。
主な文化財
五覧田城址公園
五覧田城址は、公園としてツツジや山桜、夏椿が植樹され、城址からは花輪地区をはじめ草木ダムや赤城山、天気の良い早朝には富士山も眺めることができる。
概要
指定区分
みどり市指定史跡
指定年月日
平成4年6月22日
所在地
みどり市東町荻原(石尊山山頂)
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2018年 8月 22日更新