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岡登次郎兵衛景能公の墓

岡上景能公の墓
岡上景能公の墓

 岡上次郎兵衛景能(おかのぼりじろうべえかげよし)(1629?-1687)は、江戸時代前期にこの地域を治めていた代官です。岡上家は、徳川幕府開設以来の18代官の1家として、代々代官職を務める家柄でした。足尾代官を勤めた景能は、足尾銅山の銅生産の向上と輸送の効率化を図りました。
 銅輸送の効率化では、大間々-平塚河岸間に最短ルートとなる、笠懸野の原野を縦断するルートを新たに設け、現在の太田市大原町に本町宿をつくりました。景能は、本町宿に水を引くため、渡良瀬川から水を引く「笠掛野御用水」の開削も行いました。この笠掛野御用水は、宿用水としてでなく、笠懸野の原野に新田を開発することも目的とされ、笠懸野には、本町村のほか久々宇村・桃頭村(笠懸町久宮)などの新田村がたくさん生まれることになりました。
 このように数々の業績を上げた景能でしたが、幕府から罪を問われ切腹を命じられました。景能の墓は、国瑞寺に置かれ、景能は現在も笠懸野の住民の尊敬を集めています。
 明治にいたり、景能の開削した笠懸野御用水は流路を変えて「岡登用水」として再興されました。

概要

指定区分

群馬県指定史跡

指定年月日

昭和27年11月11日

所在地

みどり市笠懸町阿左美1616 国瑞寺内

※ ワンポイント

史跡の指定名では「岡登」となっているが、史料中の名字は「岡上」となっている。

また、古文書では「笠掛野御用水」となっているが「笠懸野御用水」と記載されることもある。

2018年 8月 10日更新

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