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岡登用水三俣分水口

岡登用水三俣分水口
岡登用水三俣分水口

 三俣分水口(みつまたぶんすいこう)は、1669(寛文9)年(江戸時代前期)、代官岡上景能公により笠懸野御用水が開削されたときに、渡良瀬川から引いてきた水を笠懸野の開墾地に通水する本流と阿左美方面への農業用水とした分流に分けるために設けられました。用水は景能の失脚後廃絶され、再興時の分水口跡は埋没保存され、現在の三俣分水口は、明治5年の岡登用水を再興した時の施設を復元したものです。阿左美本流と鹿分水とで水路の幅が違い、阿左美本流が2尺2寸(約66cm)、鹿分水が1尺2寸(約36cm)となっており、何人もこの流れを変えることは許されなかったといわれます。

 

 

主な文化財

昭和53年頃の三俣分水口

昭和53年頃の三俣分水口


昭和53年頃の三俣分水口 
 

 

概要

指定区分

みどり市指定史跡

指定年月日

昭和62年4月1日

所在地

みどり市笠懸町阿左美1988-9外

 

2018年 8月 10日更新

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