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伝山田氏及び里見兄弟の墓

山田氏及び里見兄弟の墓
山田氏及び里見兄弟の墓

 高津戸(たかつど)の阿弥陀堂脇の墓地にある。山田氏は、平安末期に高津戸に土着した武士団といわれている。渡辺崋山が天保2年(1831)に著した『毛武游記』にみられる

「要害山属高津戸麓有河、渡良瀬源流、堀河院御宇、
山田七郎平吉之居之。至孫筑後守則之桐生国綱滅。
時寛応二年云。」

との記述から、高津戸城(たかつどじょう)を築いたのは平安末期の山田吉之と云う伝承があるが、記録の文書は見あたらない。
  里見兄弟というのは、近世期につくられた戦記物語によると、戦国時代末期、桐生又次郎重綱に滅ぼされた家臣里見上総介勝広の二子のことで、兄随見勝政と弟平四郎勝安の兄弟をいうが、名前については記録により異説がある。里見兄弟は上杉謙信の助力を得て高津戸城を再興し、父の敵である石原石見守を討とうとするが、戦いに敗れて天正6年(1578)9月に滅亡する。但し、近世期に作られた戦記物語に登場する史話であり、確実に存在したという史実は見あたらない。
  里見兄弟に関する唯一の遺跡として、この墓地が存在する。五輪塔の数は約30数基分あり、それ以外にも石仏の阿弥陀如来像、宝篋印塔、永禄年号の石殿等があり、中世の武士団の墓地であることは間違いないであろう。里見兄弟の墓と称される五輪塔には、「逆修 天正六季 随見」「道壽 八月廿九日」と刻まれているが、これらの五輪塔は凝灰岩製であり、形式的には鎌倉時代から南北朝時代にかけてのもので、時代が一致しない。こういったことから、里見兄弟にまつわる史話は伝承の域を出ないものではあるが、これらの戦記史話と高津戸城跡の景観は、歴史的ロマンを充分にかき立ててくれるものがある。

 

概要

指定区分

みどり市指定史跡

指定年月日

昭和51年5月12日指定

所在地

みどり市大間々町高津戸青木596-1

 

2018年 8月 9日更新

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