縄文時代から弥生時代へ(説明)
ここがポイント!
瀬戸ヶ原遺跡(せとがはらいせき)
町の西がわの丘陵上にある瀬戸ヶ原遺跡(せとがはらいせき)は、昔から土器のかけらがたくさん拾える場所として知られていたんだ。『せともの』というように、瀬戸という言葉は、陶器(とうき)のことを示すときに使ったりするよね。瀬戸ヶ原のあたりは、土器のかけらがたくさんあるので、そんな名前になったのかもしれないね。
さて、この瀬戸ヶ原の発掘調査がはじまったのが、昭和61年のこと。この調査によって、住居の跡や土抗(どこう)と呼ばれる穴がたくさん発見されたんだ。研究によって、この遺跡は、今からおよそ4,800年前から4,000年前(縄文時代中期の後半)のものということがわかった。住居跡は6軒みつかり、土器や110個もの貯蔵用の穴がみつかったんだ。
その後、この場所のとなりあっている場所で、もっと前の住居の跡がみつかったんだ。今からおよそ5,500年前、縄文時代の『前期』といわれる時代のものなんだって。いろいろな研究や調査によって、大間々町のずうっと昔のようすがわかってきた。今から5,500年も前に、今と同じように人が住んでいた大間々町…。なんだかとってもフシギな感じがしてこない?




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