江戸時代(説明)

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ページ番号1003495  更新日 2024年1月5日

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ここがポイント!

イラスト:ここがポイント

番付にのった大間々の市

大相撲(おおずもう)で使われている相撲番付のかたちができたのは、江戸時代の中ごろのことなんだって。その番付をまねて、いろいろな事に順番を付けていくことが、その後にはやったんだ。全国の山の番付だったり、川の番付だったりするんだけれど、これは当時のたいせつな情報源だったらしい。この番付表によると、大間々の市は、桐生、前橋の市に次いで、関東でも3番目ににぎやかな市だということがわかるよね。
江戸時代になって、大間々で、正式な絹市(きぬいち)が開かれた。市は、四と八のつく日に開催されていたんだって。また、そのころ大間々は、足尾から運ばれてくる銅の中継地として、多くの人でにぎわっていたんだ。そんな条件の良さもあって、市がはじまると、やがて生糸や繭(まゆ)のほか絹織物(きぬおりもの)も、ほとんどが大間々に集まるようになっていくんだ。大間々の絹市は、桐生の市をしのぐほど盛んになったこともあるらしい。

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〒376-0101 群馬県みどり市大間々町大間々1030番地
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