鎌倉・室町時代(説明)
ここがポイント!
高津戸城について調べてみよう!
ふつうは、お城って聞くと、大きな石がきやりっぱな天守閣を思い浮かべるよね。でも、そういったおなじみのお城は、高津戸城よりもずうっと後の時代で、15~16世紀に普及したものなんだってさ。大間々町にある高津戸城は、室町時代に造られたと考えられているから、そのようなお城より、ぜんぜん前のお城ということだよね。だから、天守閣も大きな石がきもない、山城というわけ。
城のあった要害山(というよりも、山そのものが城というべき?)は、西が渡良瀬川によってできた高津戸峡という、美しくけわしい崖(がけ)になっている。まさに要害(=ようがい/けわしい地形で、敵の攻撃をふせぎやすいこと)の地だったというわけ。その構造は、山の尾根を防御のための堀で、何カ所かに切られているんだ。
堀と堀の間は平らにけずって、何段ものに分けられているでしょう?まるで、段々畑や、山の斜面にある住宅地みたいだよね。なにしろ平地から80メートルも高さのある場所。見晴らしもすばらしいから、この周りを見張るのに適していただろうし、この城を攻めるのもたいへん難しいよね。


(1)本丸
(7)~(15)は二の丸
(16)(17)は三の丸
(21)番所
(23)~(26)、(30)~(35)武家屋敷
(36)的場
(g)本丸、二の丸間の堀切り
(h)(j)(k)二の丸、三の丸間の堀切り
(r)馬出し
(s)大手門
(t)馬場
(x)搦手門

(コノドント館立体映像「里見兄弟物語」より)
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