銅山街道

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ページ番号1003566  更新日 2024年1月5日

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イラス:ここがポイント

イラス:飾り文字 銅山街道


写真:おおまままち(きりはら)のどうぐら
みどり市大間々町
(桐原)の銅蔵

江戸時代(えどじだい)には、足尾銅山(あしおどうざん)から江戸に、たくさんの銅が馬を使って運ばれていたんだ。銅を運んだその道は、銅山街道(あかがねかいどう)と呼ばれていたんだって。銅は、「あかがね」とも言われていたからだね。


写真:どうぐらいりぐち
銅蔵の入口

また、そのころの大間々は、宿場町として、とてもさかえていたんだ。街道のとちゅうにあった大間々では、たくさんの人が立ち寄ったり、泊まったりしていたからなんだ。大間々は、宿屋や店がたくさんあって多くの人でにぎわい、銅を安全に置いておくための蔵(くら)、銅蔵(どうぐら)もあったんだ。

※江戸時代(えどじだい) 江戸幕府が開かれた1603年から、明治時代が始まる1868年までのころをさす。江戸は、今の東京。

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〒376-0101 群馬県みどり市大間々町大間々1030番地
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