歴史展示室
〜知ってください大間々の歴史〜

縄文時代から近現代まで、大間々地域のあゆみを一目でご覧いただけます。
古代
縄文時代から弥生時代へ
日本列島が温暖な気候に変わり始めた1万5千年前頃から、人々は弓矢の使用や土器による煮炊きを始め、次第に集落を作り定住生活をするようになっていきました。大間々の瀬戸ヶ原遺跡から出土した土器や住居跡、石鏃などを展示しています。
古墳時代
大間々地域で確認された古墳はいずれも、6世紀後半から7世紀半ばに築造されたと考えられています。国土古墳から出土した鉄製の直刀、耳環、須恵器などの副葬品や盾型埴輪を展示しています。
奈良・平安時代
都の貴族とは異なり、平安時代になっても、地方に住む人々の多くは竪穴式住居に暮らしていました。大間々で発掘された平安時代の住居跡からは、須恵器、土師器、紡錘車、砥石などが出土しており、当時の暮らしについて想像することができます。
中世
鎌倉・室町時代
武家による政治が始まった鎌倉時代から室町時代の大間々の様子について、板碑や備蓄銭、高津戸城の復元模型などが展示されています。高津戸城は渡良瀬川の要衝に築かれた山城で、天正5(1577)年から翌年にかけ、親の敵討ちのために立て籠もった「里見兄弟」の伝説が残されています。
近世
江戸時代
江戸時代になると、大間々は銅山(あかがね)街道の主要な中継地、関東有数の絹市などが開かれる場所として大いに発展しました。特に市の賑わいは、当時の番付表に小結(第3位)として掲載される程でした。その他にも商売に使われた道具類や甲冑など、多彩な資料を交えて紹介しています。
銅の道 あかがね街道
足尾銅山は江戸時代初期に幕府直営となり、銅を江戸に運ぶための重要な道として銅山街道が整備されました。中でも大間々や花輪はこの街道の主要な中継地として大いに賑わっていました。現在でも、みどり市にはその歴史を物語る貴重な品々が多く残されており、当時の繁栄の様子を今に伝えています。
近現代
幕末から明治へ
安政6(1859)年の横浜開港から明治時代にかけて、生糸は主要な輸出品として脚光を浴び、その大部分を占めていました。大間々からは3人の生糸商人が乗り出し、大成功を収めた人物もいました。残された資料からも当時の隆盛がうかがえます。
明治・大正・昭和の時代
維新政府による近代国家を目指す諸政策は、大間々にも様々な影響を与えました。学校施設の設立、大間々用水路の完成、足尾鐵道の開通といった社会的発展や、次第に影を落とす太平洋戦争関連の資料など、多彩な展示からこの時代を大間々を見つめます。
大間々の人物
自由民権の旗を掲げた教育者・藤生金六、群馬考古学の先駆者・岩澤正作。大間々にゆかり深い人物について、著作や文献、愛用品などを交えて紹介しています。
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このページに関するお問い合わせ
教育部 文化財課 大間々博物館
〒376-0101 群馬県みどり市大間々町大間々1030番地
電話:0277-73-4123
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