相澤忠洋さんについて

ツイッターでツイート
フェイスブックでシェア
ラインでシェア

ページ番号1006138  更新日 2024年8月5日

印刷大きな文字で印刷

写真:相澤忠洋

相澤忠洋という人物

大正15年(1926年)に生まれた相澤さんは、幼少期から考古学に興味を持ち、土器や石器を集めていました。太平洋戦争では、一度軍隊に入りましたが、復員後は納豆の行商を行いながら赤城山麓で土器や石器を集めていました。

昭和21年(1946年)、相澤さんは笠懸地内の切り通しで、露出している赤土(関東ローム層)に小さな石器が埋まっているのを発見しました。当時、関東ローム層の年代には、日本に人類はいなかったと考えられていましたが、相澤さんは発掘調査を続け、昭和24年(1949年)、明らかに人工的に作られた石器である「槍先型尖頭器」を発見し、その時代に人類がいたことを確信しました。しかしながら、独学で考古学を学んだ相澤さんの発見は、当時ほとんど取り合ってもらえず、岩宿遺跡の発見が正しいことが証明された後も相澤さんの功績ということがなかなか認められませんでした。

それでも、諦めずに発掘調査を続けた相澤さんは、その後もたくさんの遺跡を発見して脚光を浴び、岩宿遺跡の発見に関する書籍を出版するとたちまちベストセラーになり、相澤さんの功績が世間に認められました。

より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。

このページに問題点はありましたか?(複数回答可)

このページに関するお問い合わせ

政策企画部 地域創生課
〒379-2395 群馬県みどり市笠懸町鹿2952番地
電話:0277-46-9067
お問い合わせフォームは専用フォームをご利用ください。