童謡の父 石原和三郎 年表
年月 | 出来事 |
---|---|
慶応元年(1865)10月12日 | 群馬県勢多郡花輪村に生まれる。(父石原伝六、母さだ) |
明治6年(1873) | 花輪学校創立(祥禅寺)和三郎同校に入学。 |
明治10年(1877) | 黒保根村塩沢分校の助手教員となる。 |
明治18年(1885) | 秋頃、花輪小学校勤務。(記録がないため時期は不明) |
明治19年(1886)5月 | 南勢多第十一北尋常小学校の教員となる。(現在の赤城村刀川小学校) |
明治20年(1887)4月 | 南勢多第十一北尋常小学校退職。 |
明治20年(1887)5月 | 群馬県尋常師範学校(教員を養成する学校)入学。 |
明治24年(1891)3月 | 群馬県尋常師範学校卒業。花輪尋常高等小学校校長となる。 |
明治26年(1893)7月 | 父伝六逝去(63歳)。 |
明治27年(1894) | (勢多郡)東村小夜戸の東宮てると結婚。 |
明治29(1896)6月 | 長男善雄出生。 |
明治29年(1896)11月 | 東京高等師範学校付属小学校教諭となる。 |
明治31年(1898)9月 | 文部省検定試験国語科合格。 |
明治32年(1899) | 高等師範学校音楽助教授・田村虎蔵と意気投合し、話し言葉に近い歌詞の学校唱歌を創始する。 |
明治33年(1900) | 富山房に入社。 坪内雄蔵の「小学国語読本」編纂に関係する。 この年より「幼年唱歌」が順次出版された。 |
明治34年(1901)6月 | 「兎と亀」を幼年唱歌に発表する。 |
明治36、37年(1903・1904) | 「少年唱歌」が出版された。 |
明治37年(1904) | 日露開戦、月刊誌「日露戦報」(後に「軍国画報」、「帝国画報」に改称)を編集。 |
明治38年(1905) | 東郷大将に「軍国画報」を贈り、揮毫(毛筆で書いた書や絵)をいただく。「電車唱歌」出版。 |
明治42年(1909)頃 | 文部省の歌詞募集に応じ「国旗の歌」最優秀作として賞金八十円を得る。 |
明治44年(1911) | 「東京銅像唱歌」「朝鮮唱歌」出版。 |
大正11年(1922)1月4日 | 病没。五十八歳。郷里の花輪、祥禅寺に埋葬。 |
関連情報
より良いウェブサイトにするために、ページのご感想をお聞かせください。
このページに関するお問い合わせ
教育部 文化財課
〒379-2311 群馬県みどり市笠懸町阿左美1790番地1
電話:0277-76-1933
お問い合わせフォームは専用フォームをご利用ください。