童謡の父 石原和三郎 年表

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ページ番号1003629  更新日 2024年1月5日

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イラスト:童謡の父 石原和三郎 年表

写真:石原和三郎


イラスト:年表

年月 出来事
慶応元年(1865)10月12日 群馬県勢多郡花輪村に生まれる。(父石原伝六、母さだ)
明治6年(1873) 花輪学校創立(祥禅寺)和三郎同校に入学。
明治10年(1877) 黒保根村塩沢分校の助手教員となる。
明治18年(1885) 秋頃、花輪小学校勤務。(記録がないため時期は不明)
明治19年(1886)5月 南勢多第十一北尋常小学校の教員となる。(現在の赤城村刀川小学校)
明治20年(1887)4月 南勢多第十一北尋常小学校退職。
明治20年(1887)5月 群馬県尋常師範学校(教員を養成する学校)入学。
明治24年(1891)3月 群馬県尋常師範学校卒業。花輪尋常高等小学校校長となる。
明治26年(1893)7月 父伝六逝去(63歳)。
明治27年(1894) (勢多郡)東村小夜戸の東宮てると結婚。
明治29(1896)6月 長男善雄出生。
明治29年(1896)11月 東京高等師範学校付属小学校教諭となる。
明治31年(1898)9月 文部省検定試験国語科合格。
明治32年(1899) 高等師範学校音楽助教授・田村虎蔵と意気投合し、話し言葉に近い歌詞の学校唱歌を創始する。
明治33年(1900) 富山房に入社。
坪内雄蔵の「小学国語読本」編纂に関係する。
この年より「幼年唱歌」が順次出版された。
明治34年(1901)6月 「兎と亀」を幼年唱歌に発表する。
明治36、37年(1903・1904) 「少年唱歌」が出版された。
明治37年(1904) 日露開戦、月刊誌「日露戦報」(後に「軍国画報」、「帝国画報」に改称)を編集。
明治38年(1905) 東郷大将に「軍国画報」を贈り、揮毫(毛筆で書いた書や絵)をいただく。「電車唱歌」出版。
明治42年(1909)頃 文部省の歌詞募集に応じ「国旗の歌」最優秀作として賞金八十円を得る。
明治44年(1911) 「東京銅像唱歌」「朝鮮唱歌」出版。
大正11年(1922)1月4日 病没。五十八歳。郷里の花輪、祥禅寺に埋葬。

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