ながめ余興場の歴史

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ページ番号1004844  更新日 2024年2月9日

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写真 ながめ余興場

「ながめ」の始まり

「ながめ」は、大正13(1924)年に高津戸峡の畔に「ながめ」という料亭が開業したのが始まり。これを大間々町三丁目にあった「三好屋」という割烹旅館を経営している者が受け継ぎ、「ながめ」は三好屋の別館という位置付けとなった。
 はじめは料亭だけであったが、料理を食べに来る人に、牡丹や菊を見てもらうために「ながめ園」として開放し、余興も行うようになった。大正15(1926)年ごろにはすでに菊花壇が完備され、それが新聞等で宣伝されていた。昭和になると「菊人形」が飾られ、さらに「菊のながめ」として有名になった。
 「ながめ」は花だけでなく、余興にも力を入れ、歌舞伎などを上演する掛け小屋が昭和4(1929)年に建設された。この動きがやがて「ながめ余興場」の建設となっていく。

写真 ながめの割烹

ながめ余興場

写真 ながめの建設当時の様子

 ながめ余興場は、昭和12(1937)年に竣工した木造二階建の劇場建築。形式は切妻造り妻入りと称されるもので、建物正面の中央に唐破風(からはふ)を付けて客の入場口とし、その左右には千鳥破風を付けるなど、劇場らしい変化に富んだ意匠を施している。
 余興場の内部構造で特筆すべきは、人が手で回す伝統的な「回り舞台」が備えられていることである。この機構はヨーロッパに先駆けること約150年前、江戸時代の中頃に日本で発明され、明治以後、外国の舞台機構にも大きな影響を与えたとされているものである。
 更に内部をみると、板張り床の上にゴザを敷いた桟敷席や花道、舞台裏の楽屋、二階舞台側に窓を開いた座長室なども残されており、現在でも華やかだった時代に立ち戻ることが出来る。
 太平洋戦争後、日本的な劇場建築は次々と姿を消しており、群馬県内ではこの建物が唯一、全国的にみても数えるほどしか残されていない。こうしたことから、手回しによる回り舞台をもつ「ながめ余興場」は、演劇史上や建築史上からも極めて貴重なものとなっている。
 このながめ余興場は、娯楽の多様化により昭和62年に休眠状態に入ったものの、有識者等によりその存在価値が再確認され「町のシンボル」として保存機運が高まり、平成2年12月26日に旧大間々町の名義となった。その後、平成7年3月25日に町指定重要文化財(現在はみどり市指定重要文化財)に指定され、平成8、9年にかけて「創建当時の趣のまま」大改修が施された。現在は、往年の姿を残しつつ、現代に甦った芝居小屋として、一般の方々が見学できるほか、各種事業や興行等に広く利用されている。

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このページに関するお問い合わせ

産業観光部 観光課 ながめ余興場
〒376-0101 群馬県みどり市大間々町大間々1635番地
電話:0277-72-1968
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