幕末から明治へ
幕末(江戸時代の終わり頃)、横浜港が外国にたいして開かれることになります。それとともに、ヨーロッパやアメリカでも貴重な品であった生糸は、外国との貿易の中心になっていきました。大きな絹市の開かれる大間々には、生糸をあつかう商人が多くいました。そして、その中の、3人の生糸商人が横浜へと乗りだしていきました。
横浜に、生糸をあつかう店を出したのは、藤屋藤三郎、不入屋(いらずや)伊兵衛、吉村屋幸兵衛の3人でした。彼らは、数多い横浜の商人の中でも、外国との取り引きは上位にあったと言います。特に吉村屋は、横浜の経済界のビッグスリーに入るなど、明治9年には、日本からの生糸輸出量の、なんと15%をあつかっていたほどです。

(横浜開港資料館蔵)

伊兵衛の店
(神奈川県立博物館蔵)

(いせざきちょう/横浜)のにぎわい
(横浜開港資料館蔵)


(海外貿易に使った
メキシコ1ドル銀貨)
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